2016/12/14

要はバランス


師走も半ばですね。
年末商戦の発送が一区切りとなり、ちょっとのんびりできてます。



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数字は現実を可視化する一つの指標だ。
帳簿をつけたりしながら今年制作した数と、それに伴う出費や売上を見て思う。


先のこともわからず希望半分恐怖半分に進んできたけれど、
一応、現実社会とちゃんと繋がっているようです。


自分の身ひとつでよくやってるもんだなと、ちょっとだけ褒めたい。
※理想にはまだ遠いです。
※もっとやれてる人はもちろんいっぱいいます。
※もっと儲かってる人もごまんといます。


そしてたくさんの方々の力を借りて成り立っている。
ありがたや。


小さなスケッチブックに書き溜めたアイデアが、
小さな作業場の小さな机から一つ一つが生み出されて、
人の手に渡る流れを自分の手によって作れる環境。
過去にぼんやりと描いていたことが今ある。
それでも欲を言えば、またその先もある。
いつでも過程と思っているので来年以降も変化していくだろうな。



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「仕事で落ち込んでも鏡見た時に写ったピアス見たら元気でました。」
とある方が、以前買ってくださった作品とその後のエピソードを聞かせてくれた。
とても素敵な言葉で、アートやクラフトが生活に入り込むことの役割を語ってくれました。


私はというと、そう思うあなたが素敵ですよと言いたい。
なぜって私の場合、アイデアの段階では気持ち的におふざけ(遊び心?)がまずあって、
面白いかそうでないかが重要で。
それから身に着けるものとしてアリかナシかで、
細かい部分に凝ることは性分で(適当はまた適当で)。
そのあとで喜んでもらえるかどうかは、大いなるおまけのようなもの。


作り続けることで過去に買ってくださった方に再会する機会も増えて、
私の方こそ元気をもらっています。


以前、値段の付け方について書きましたが、
そこで弱気になって安売りを良しとしなかったことも影響していると思います。

「作品と私にピッタリのお客様と繋がる最適な方法」

自分の経済感覚最低の時期だったから尚更迷いました。
そのときはおっかなびっくりだったけど、じわじわくるものですね。
なんでも動かしてみないとわからない。
そして課題は次へ次へ。



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要はバランス と、銘打って何を書きたかったかと戻ります。


数年前、自分の現状に疑問が生じて悩み始めた時、
スピリチュアルカウンセリングを受けたことがあります。
親しい友人が先に受けていて紹介され悪くもなさそうで、
知らない世界を覗くようなちょっとした好奇心もありました。


私は霊感こそないですけど、子供のころから
死後の世界や不思議な話は興味のレベルで好きだったし、
目に見えるもの以外の存在とか力というものは
普通にあるんだろうなと思ってきました。


ちょうど「オーラの泉」という番組が流行った頃だったかな?
でも私が受けたのは、あの番組によくある
「ご先祖様ガー」とか「前世の遺恨ガー」とかいう
話はなく、「今の」自分にフォーカスしたものでした。


カウンセラーのMさんも、黄色い髪でも金ぴかドレス(笑)でもなく
いたって普通のお姉さん。(水晶玉もなかったよ)


前置きとして簡単に、
人には意識できる顕在意識と
意識していない潜在意識、
さらにそれを超えた高次の意識というものがあるそうです。
※専門的にではなく、あくまで私が受けとった認識です。


Mさんは、相談者個人の高次の意識とコンタクトをとり、
そのメッセージを伝えるというカウンセリングをします。


高次の意識=本能に置き換えて説明してくれた
彼女の例えがとても分かりやすかったのですが、

今生きている自分を「馬に乗っている状態」として
・自分→意識できている部分
・馬(本能)→無意識・高次の部分

このとき、馬(本能)は先に自分の行きたい・やりたいことが
分かっているのでそちらへ行こうとするのですが、
自分はさまざまな理由でそこへ行くまいとします。
・できるわけがないから
・怖いから
・リスクがあるから
・誰かが反対したから
・非常識だから etc.

そうしてやりたいことをせず自分は違う方向へ向かおうとすることで
馬との間にストレスを生み、進みが停滞します。
自分と馬の意識に差異がないほどに
人生は「思い通り」に行くわけです。※「」も意味アリ。



高次の自分と繋がる…云々だと胡散臭そうですけど、
「思うままに生きよう」ということですね。
そこでまたクリアしたいことが多々出てきますが
長くなるので端折ります。
(その思い込みを作ってきた常識とかトラウマとか)


それで、そのカウンセリングを受けてからですけども。
良い意味で、これまでの概念が壊れまして。
物心ついた時から受けてきた親からの観念や学校教育など、
社会通念とされる情報をいったん外して見えてくる
本来の自分というものを意識せざるを得ないわけです。
地上を這っていたアメーバが急に、
あなたは鳥のように自由だと言われて
いったんは光を見るのです。
何やらとてつもない魔法をかけられた感じ?


しかしもって、アメーバが鳥であったことになったとして、
その距離を埋める具体的な方法は知らないし、
自分以外の人間がやってくれるわけもないことに
すぐに気づいて絶望するわけです。
理想と現実のギャップですね。


今となっては良しと思えるけれど、
あの当時は何も知らなければアメーバでよかったのにって
余計落ち込んだりしました。
「話ができない人」も増やしてたような。
それからまた長い長い時間を費やして、
アメーバも鳥も最初からそれそのものであり、
自分は自分であり、優劣も善し悪しもないってなります。
深く思うことはあっても、ごちゃごちゃ考えることが減りました。
小さい子供がますます好きになって、師匠を見るまなざしです。



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要はバランス が
またどこかに消えました 笑
しかし年の瀬に書いておきたいので
赴くままに続けます。



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人は弱ると何か拠り所を探すもので。
前述したカウンセリングや占いは用法容量を間違えたり
相手を選ばなかったりすると毒にも薬にもなると思うのです。


Mさんに、その何年後かに再会する機会がありました。
当時はすでに能力を生かしたボディケアや
アロマのお仕事で実社会でご活躍されていました。
セミナーのような仕事をあまり広げていないようでしたので、
やらないんですかって聞いたら
「セミナージプシーを作りたくないんですよねー」
って言っていて、

そういやあのときにも彼女は

自分を生かす道かどうかは
みんな感覚的に受け取っている。
どうしたらよいかわからなくても
やってみようと思えないことが問題。
わかることが目的ではなく自分で選べる人間になること。
私(カウンセラー)を必要とすることなく
自分自身で生きられるようになること。

が、大事だと言っていた。(メモがあった)
あらためて、いい人に会えたんだなと思った。



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そうです。
要はバランスなのでした。


元気になるために
自分を取り戻すために
他者の助けを借りて救いを求め、
傾いたバランスを戻す。
ここまではよい。


でもそこで反対に傾き過ぎたり
軸まで奪われてしまわないように。
中心である支点をちゃんと自分の感覚で取れるように。


カッコいい友達がいて、
毎日働く両親を見て、
心を体現する手本のような甥姪がいて。
私はアメーバから腐ってしまわずに済みました。
好きなことを生業にできていたことも大きかったと思います。
むしろ、贅沢すぎる環境で嘆いていたなんて
アメーバも怒ります。
人をうらやむこともあるけれど、
自分を嘆くこともあるけれど、
誰に押し付けられているわけではない。
どんな時も選んでいるのは自分。


***


心を置き去りにしてはいけないし、
体をおろそかにしてもいけない。
Balance is all

また長くなったな 笑