2017/04/29
無限の可能性と有限の時間
はじめに
わりと私的なことを綴ってきたこのブログですが、
書き出したら輪をかけてずっしりしてしまいました 笑
およそ作風とは思いもよらない内容ですが
一度出しきってもう軽やかになりたいのと、
なんかどこかから出せ出せと声がするので
読みたい方だけお付き合いください。
お笑い芸人が実は人見知りが多いのと
同じ原理でしょうか(違うか)
長いぜよ。
***
***
また一つ歳をとった。
子供のころに想像していたであろう大人になった自分とは
だいぶかけ離れた今の自分。
好きなことをしているとか失っていない精神性とか
〇をつけてあげたい一方で、年齢という記号の不確かさ?に変な気分になった。
だってさ、あと10年もしたら50歳の扉が目の前なんだよ。
50歳て!大きい孫いてもいい年齢やんか。
10年があっという間ということがもう体感済みだから、
余計恐ろしくなるわ。
***
あれこれ悩んだ30代も佳境に入りました。
情報が溢れかえる時代にいろいろなものを見て聞いて、
グラついたり納得したり。
そして深く掘り下げるほどに根っこにあったものが
とてもシンプルであったことに気づく。
私は、両親に認めてもらいたかった。
何も持たない私のままでいいと言われたかったのだ。
これは幼少期から抱えていた思いではない。
さかのぼること10年位前、一番上の姉が結婚することになり
姉弟間では私だけが未婚となった。
当時の私には、何もなかった。
何もないどころか創作意欲も失い、
何をしたいのかもわからずに暗い淵に沈んでいた。
ただ、「東京でひとりだけど、制作活動を頑張っている」
ということだけが頼りでそれだけだった。
集まる家族が増えてにぎやかになったお盆やお正月の帰省は、
ただ居場所がないばかりか結婚の心配を押し付ける母や
もはや目を合わせない父を再度確認してはまた東京に戻るという
煩わしい行事でしかなかった。
上りの電車を待つホームでいつも歯噛みしながら泣いていた。
両親の心配やもどかしさは愛情からきていることも十分理解はしている。
自分の現状を負い目と思っているからこそ私は傷つくわけで、
誰が悪いということはない。
ただただその出来事から
「結婚しなければ厄介者」
「経済的に自立しなければ認められない」
という脳内変換がなされ、
「何も持たない自分には、価値がない」
という思いが無意識の中に根っこをはった。
そこから上記の「認めてもらいたかった」になる。
これを自覚して少しずつでも吐露していくことが
私の30代だったのかなと、最後の年の区切りの意味でも綴ってみました。
***
「あなたの許可なくして誰もあなたを傷付けることはできない」
相手が傷付けたのではなく、
あなたが持っていた「痛い」と思う部分に触れたということ。
最初から私の方が、何かなければ価値のない人間だと思っていたから。
思考の現実化とはこういうことだ。
自分にないものは認識しないし、あるから起こる。
両親との出来事含め、私がそう思ったからそうなんであって、
実際どうなんだということなんですよね。
「私を傷付けたかったのか?」と問えば100%、NOでしょう。
自分のことは自分しかわからないように、
相手には相手の思いや都合がある。
勝手に推察して飲み込んできたのも良くない癖でした。
傷ついたと嘆くままにせず伝えてみること。
身近な相手だからこそ難しくて、とても大切なことだと思う。
***
書き始めのトーンはどこへやら? 笑
でも、書ききれないほどの葛藤があって今があります。
迷い道、暗いトンネル、荒野か砂漠か。
そう設定していたのも自分ですけどね。
そして道の途中、語り合える友たちと出会い、
いらない荷物を少しずつ下ろし、
欲しいものを選びながら
戦っていた相手が自分だったと知りました。
これからは一番の味方になってもらいます。
そして言いたいことはあるだろうに、
生温かく(笑)置いてくれている両親に感謝します。
本当はずっと愛されていたとわかっています。
沢山の子供たち(姪・甥)を近くで見せてくれる姉弟に感謝します。
彼らの輝きは私の魂の師匠です。
最後に自分。
考えすぎるところ、読みすぎるところ。
短所にして数えればキリがないけれど、
だからこそ歩いてきたこれまでを
とても愛おしく誇らしく思います。
よく頑張った。
これからは、
勇気を出して
もっと自由に
思ったように、やりなさい。
可能性は無限かもしれない
でも
時間には限りがあるんだよ。
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